STORY カラジルーア物語
EPISODE 3
子供たちと未来への思い
僕の仕事が軌道に乗り出した頃、エジミウソンもバルサでチャンピオンズリーグ優勝、スペインリーグ2連覇、国王カップ優勝など数々の栄冠を手にし、名実ともに選手として最高の時期を過ごしていました。
また同時に、ピッチ外でも精力的に活動を開始し、生まれ故郷のタクアリティンガという町で2006年に財団を立ち上げ、経済的に困窮している子供たちのために学校も建設。演劇や絵画、読書にパソコン、武道など、さまざまなことにチャレンジできる場所をつくり上げました。
ブラジルは貧富の差がとても激しい国です。特にスラム街で暮らす子供は麻薬や暴力との距離が近く、自分の夢を無邪気に追いかける環境が圧倒的に不足しています。
エジミウソン自身、家庭の事情で大好きなサッカーの道を諦めかけた過去があるので、「子供たちが夢を諦めず、好きなことに打ち込める環境を提供したい」という思いはずっと持っていたそうです。
「子供は希望であり、未来だ。だから、子供たちが道を踏み外さないように夢や目標を育める場所を提供して、夢中になって努力を積み重ねる素晴らしさを知ってもらいたい。そして、自分の夢を叶えてほしい。そのために俺は財団を設立したんだ」
この言葉をエジミウソンから聞いた時、僕は感動で心が震えました。
「子供と未来のために、そんなことまで考えているのか。 同じサッカーに関わる仕事をしている身として、僕には一体何ができるんだろう」
キャスティング事業を軌道に乗せるためがむしゃらに働いてきた僕は、この時初めて立ち止まって自問自答しました。
そして考えに考えた結果、僕は小学生を対象にしたサッカースクールを地元川崎で立ち上げることにしました。
スクールの名前は「パラムンド」。ポルトガル語で「世界へ」という意味です。このスクールでブラジルサッカーやポルトガル語を学び、世界に向けて羽ばたいていってほしい。 そんな願いを込めて2012年にパラムンドを立ち上げました。
サッカー教室での確信
時を同じくして、バルサの黄金期を支え、その後もヴィジャレアルやレアルサラゴサなど、数々のクラブを渡り歩いたエジミウソンが、2012年に現役を引退。
スパイクを脱いだ後、彼は財団やメディアでの活動に力を注いでいたので、日本でも何かできないか、よく二人で話し合っていました。
エジミウソンと一緒にできることは何か。絶対に何か有意義なことができるはず。
最初はそんなことばかりを考えていましたが、そのうち僕の中である思いがどんどん強くなっていきました。
「エジミウソンという素晴らしい人物をもっと知ってもらいたい!日本中のサッカー少年やサッカー関係者に知ってもらいたい!」
そのためには、どうすればいいのだろう……。
「そうだ!パラムンドでエジミウソンのサッカー教室を開催して、それをメディアに取り上げてもらおう!」
そう考えた僕は、即手配を開始。
そして、2016年3月15日。エジミウソンのサッカー教室は現実のものとなりました。
サッカー教室当日は、朝からスクール生や保護者もソワソワして緊張気味。
本当に元ブラジル代表のエジミウソンが川崎に、パラムンドにやって来るのだろうか。現実離れしたことなので、みんな半信半疑というか不思議な精神状態だったと思います。
そして、とうとうその時はやって来ました。
エジミウソンがゆっくりピッチの中に入ってきて、子供たちの目の前に現れたのです。ワッと湧き上がる歓声と拍手。頬を紅潮させながらエジミウソンを見つめる子供たちの表情。
ひとたびエジミウソンがボールを蹴れば全員の目が釘付けになり、何か話をすれば一言も聞き漏らすまいと全員が耳をそばだてていました。
子供たちの輝く顔を見ながら、僕は確信しました。
「エジミウソンだからこそ、伝えられるものがある。これほど価値のあるサッカー教室は他にない。これを日本全国で、いや世界中で開催するべきだ!」
誰がための財団
川崎でのサッカー教室を皮切りに、日本では静岡、浜松、福井、長崎、沖縄。そして海外ではシンガポール、ミャンマー、スイスなどで教室を開催していきました。僕はエジミウソンのサッカー教室を通して、いかにサッカーが世界中で愛されていて、大きな影響力を持ったスポーツであるかということを改めて実感しました。
と同時に、各国それぞれの社会問題や貧困に苦しむ子供たちの姿を目の当たりにし、エジミウソンが財団活動に本気で取り組む理由を真に理解できました。
日本でも財団としての活動が何かできないだろうか。
この思いをエジミウソンに相談したところ「それなら日本でも財団を設立しよう」という話に。設立にあたって代表に適任な方を探していると、浜松でブラジルとの貿易業を営んでいる方とご縁をいただきました。
浜松市はブラジル人労働者が最も多い都市であり、日韓W杯でブラジル代表がベッカム率いるイングランド代表を撃破した場所。そんなブラジルと縁の深い土地で、日本のエジミウソン財団は活動を開始することになりました。
その後もエジミウソンと僕は公私ともにパートナーとして交流していましたが、2020年に起きた新型コロナウイルス感染症のパンデミックにより、環境は一変してしまいました。
パラムンドも活動を休止せざるを得ない状況になりました。コロナ禍で収入が減り、月謝が払えなくなってスクールを辞めていく生徒もいました。スクール最終日に「辞めたくない」と涙を流していた子供の姿は、今でも鮮明に頭に焼き付いています。
コロナによって、どれだけの子供たちが当たり前の日常を失ったのだろう……。どうすれば、この子供たちを救えるのだろうか。自分にできることは何だろうか。そんなことばかりを考える日が続きました。
そしてある日、僕はエジミウソンに伝えました。
「財団を通して、もっと日本や世界の子供たちを救いたい。まずは経済的な理由でサッカーを続けられなくなった日本とアジアの子供たちを救おう。それができなくて誰のための財団だ」
僕の話にエジミウソンも賛同してくれました。
そして、2021年に財団名を「エジミウソンファンズ・アジア」へと改名し、日本とシンガポールに事務局を設立。このタイミングで僕はエジミウソンから指名を受けて、エジミウソンファンズ・アジアの代表理事に就任することになりました。
僕がブラジルへサッカー留学して、田舎町のジャウーでエジミウソンに出会ってから30年。彼という存在によって、僕の人生は大きく変わりました。人生最大のサプライズは、彼に出会ったことだと断言できます。
エジミウソン!
あなたはどんな困難にも確固たる信念を持ち、前を向いて歩いて行く。
その姿は、まるで燃え上がる太陽のようです。
エジミウソンファンズ・アジアは間違いなく
すべての人をあたたかく包む太陽のような存在になるでしょう。
このプロジェクトは子供たちに夢や希望を与え、みんなを笑顔にできると信じています!